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楽しみながら、誰かの人生を明るく照らす。歌と看護の力で未来をつなぐ、現役看護師歌手・野村真希の挑戦

30年以上にわたり、関西発のエンターテインメントを大切に育んできた株式会社ウイングス・エンタテインメント。その伝統あるウイングスの精神を次世代へとつなぐ架け橋として、ひときわ強い情熱を注いでいるのが歌手・野村真希だ。

二度も生死を彷徨い、病を克服。「生かされた命を、誰かの力になるために使いたい」と走り続けてきた彼女の歩みは、いつしか看護師として歌手として、誰かの命を、誰かの心を、そして誰かの夢を支える、唯一無二の生き方へと繋がっていった。

後編では、奇跡の連続のなかで確信した歌の力、伝統を未来へと運ぶための挑戦、そして表現者として誰かの背中を押し続ける覚悟に迫る。

白衣を着たまま掴んだ夢。現役看護師という異色の歌手デビュー

講師の仕事を10年以上続け、教育者としての役割を十分に果たしたと実感していた野村。長く医療業界に身を置き、加速する高齢化社会を見据えるなかで、「これからは看護の力が不可欠になる」という確信に近い予感を抱いたという。一見、唐突な転身にも映るが、その決断の裏には、両親の相次ぐ闘病という切実な経験が深く結びついていた。

野村 真希

父がガンになったとき、何もしてあげられないまま亡くなってしまったんです。すると、程なくして母もガンを患っていることがわかりました。母親にはできるだけのことをしてあげたいという思いもあって、看護師になるという道が明確になったのかもしれません。

社会人になって何年も経った自分は、英語や物理といった学科試験に必要な科目では現役の学生には勝てないと思った野村は、面接こそが自分の勝機だと考え面接にすべてをぶつけた。その結果、持ち前のパワフルさ、ガッツ、思い切りの良さで、準備期間も短いなか見事看護学校に合格。看護学校を卒業後も、外部からの採用枠がわずか数名という狭き門を突破して大学病院で看護師として採用された。

過去、医療従事者として勤務した経験があるとはいえ、看護の仕事は想像以上に大変だったが、それを持ち前のポジティブな性格で楽しみと捉え、縁あって看護師長も経験するなど、忙しいながらも充実した日々を送っているなか、野村が本格的に歌手を目指すきっかけが訪れる。

野村 真希

仕事のあと、同僚にカラオケに誘われたんです。学校経営をしていたときも、仕事関係の方とのお付き合い程度でカラオケをする機会がありましたが、経営者としての仕事や両親の病気などいろいろなことがあって歌からは遠ざかっていました。
だんだんと歌を歌う機会が増え、私が歌うとみなさん笑顔になってくれるんです。それがとっても嬉しくて、次第に若い頃に抱いていた『歌手になりたい』という思いが再燃しました。私は直感で動くタイプなので、「これはなんだか歌を歌っていく方向に導かれているのかな」とか思いましたね。

歌手としての道を歩もうと決め、俳優養成所の入所試験を受けた野村。東京と大阪の有名養成所にどちらも合格したが、看護師の仕事を続けながら通えるよう、大阪の養成所を選んだ。

そこで出会った作曲家の竹山荘一氏から、弟子として歌の勉強をしながら歌手デビューを目指さないかと声をかけられた。

通常であれば、歌手デビューまで3年以上、チャンスに恵まれず何年もデビューできないまま下積み生活を送る歌手も多いなか、野村は運良く1年ほどでデビューが決まった。

デビューの際、所属事務所候補として竹山氏から紹介されたのが、(株)ウイングス・エンタテインメントであり、当時社長(現会長)を務めていた、元・日本クラウン制作宣伝プロデューサーの岡崎健一郎だった。

作曲家の竹山氏、そして「歌謡界の仕掛け人」と呼ばれていた岡崎の2人との出会いが、野村の歌手としての才能を大きく開花させるきっかけとなったのだ。

看護師としての仕事を続けながら、2011年6月22日、デビュー曲『夫婦杖』をリリース。翌7月には、生まれ故郷・奈良県桜井市の市民会館で『夫婦杖』の発表会をワンマンで開催することに。

野村 真希

通常、デビューしたばかりの人気も知名度もない新人歌手が、大きな会場を貸し切ってワンマンライブなど異例中の異例です。にもかかわらず、当日は800人ものお客様に集まっていただき、たくさんの人に応援していただいているんだと本当に嬉しかったです。

その後、地元や後援者の人々の期待に応え、『夫婦杖』のカップリング曲『大阪エエトコヤ』をアレンジした『桜井ええとこや』をリリース。地元・桜井市にスポットを当てたこの曲は、桜井市の観光推薦曲となっている。また、翌年台湾で行われた「日台芸能文化フェスタ&日台盆踊り」では、歌の親善大使として参加。これまでの歌手活動を通して、国内は北海道から九州まで、海外ではアジアやオセアニアにも活動を広げ、歌を通して音楽文化の交流と親交を深めてきた。

歌の力と看護の力で、幾つもの奇跡に遭遇。唯一無二のキャラクターで、新たな道を切り拓く

順調に歌手としての道を歩みつつも、看護師としての仕事はこれまで通り続けた野村。看護師の仕事は、日中の勤務に加えて夜勤もつきもの。看護師としての仕事を終えたあとの時間を歌手活動に費やしているため、ときには夜勤明けでステージに立つこともしばしば。

しかし、どれだけハードな生活になろうと、看護師を辞めると言う考えはまったくなかったという。

野村 真希

歌で成功できる人なんて、ほんのひと握りです。だから、歌手活動と並行できるのであれば看護師としての私は残しておくべきだという堅実な思いもありました。ただ、看護師の仕事を続けるなかで、私の歌で奇跡を起こした方がいた事実も私の思いを強くさせました。

野村が担当していた患者のなかに、病気のせいで寝たきりになり、手も足も自分の力では動かすことができない方がいた。家族に伺うと、本人は「すごく歌が好きで、元気なときはよくカラオケで歌を歌っていた」と聞いた野村は、本人が好きだった歌を歌いながら、毎日その方の身体を拭いた。

野村 真希

毎日、歌を歌いながらケアをさせていただいたんです。するとしばらくして、目がピコピコって動いて、手や足がほんの少しですが動いてくれるようになったんです。その後も時間がかかりましたが徐々にお身体が回復され、病気をされる前ほどまではいきませんでしたが、声を出して意思表示ができるようにまでなられました。
看護の現場だけでなく、歌の現場でも自身の力を発揮する場面がありました。それは歌手としての大先輩である鳥羽一郎氏との共演の際。舞台上で演奏者の一人が突然倒れ、意識を失います。歌が終わって裏へと回ると、その方が横になっておられたので、救急車が到着するまでの間にできるだけの処置をし、救急隊員へと繋ぎました。

のちに聞いた話では、倒れた方はくも膜下出血を発症されていたが、野村による迅速な対応により、一命を取り留め、現在は社会復帰できるぐらいまでに回復されているという。

くも膜下出血は、対応が遅ければ後遺症が残ってしまうなど重篤な病気の一つ。病院の先生が『その場に医療従事者がいましたか』と尋ねるほど、処置は適切だった。

野村真希7周年コンサート
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野村 真希

私、全然しんどいと思わないんです。体力的に言えば、病院の仕事はもちろん大変ですし、歌だけに専念すればもっとたくさん歌の仕事をいただけると思います。でも、こうした奇跡ともいえる経験を私は何度も経験してきて、奇跡の瞬間には必ず看護師としての自分と歌手としての自分がいたんです。それに、今私がこうして歌のお仕事をいただけるのは、現役の看護師であるから。
どちらかに専念するのも悪くないですが、どちらも辞めない、というより、どちらも辞められない、という思い。私の役割や使命のようなものなんですよね。

「歌の力と看護の力、私はどちらも信じているし、それが歌手も看護師も続けている理由です」と言い切る野村。こうした功績が認められ、2026年青淵渋沢栄一翁顕彰会「士魂商才賞」(※)を受賞するなど、非常に栄誉な機会に恵まれる。
野村にはこうしたチャンスやご縁がいつも自然と舞い込んでくるという。

野村 真希

歌手一本で頑張っておられる人は世の中にたくさんいますが、現役看護師で歌手というキャラクターはそうそういないと思います。歌手の野村真希ではなく、看護師であり歌手である野村真希だからいただけた素晴らしい賞です。私の歌を聴いて『元気になったわ』とか『心が晴れたわ』と言っていただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。

※「士魂商才賞」は、渋沢栄一の精神の根幹である“論語”の教えをもとに、事業運営において高い道徳心と商才の両方を発揮し、社会の発展に尽力した個人や団体に贈られる賞です。『野村真希、青淵渋沢栄一翁顕彰会より「士魂商才賞」を受賞!』もご覧ください。

野村 真希

いくつものことをするということは、人の倍以上頑張らないといけないし、それ以上に大変なことや過酷なことが待っていると思います。でも、それが私。私と関わっていただいたすべての方が明るく幸せになれるように、私自身も楽しみながらこの先の人生を生きていきたいです。

看護師として命を救い、歌手として心を震わせ、誰かの幸せを支え続けているのは、「生かされた命」を実感したからこそ。 かつて命の危険すら感じ、奇跡的に生還した野村は、今度は誰かにとっての”希望の光“になろうと走り続けている。

【前編】命を救い、心を震わせ、夢を支える。現役看護師歌手・野村真希が描く、希望を届けるエンターテインメント【野村真希ヒストリー】を読む

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